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日常会話レベルの英語とは?

「あなたの英語力はどれくらいですか」という質問に対して、「日常会話くらいなら」と答える人をよく目にします。中高でそれなりに英語を勉強したし、大学受験のときもがんばったし、大学の授業か英会話教室か外国の友達との会話などで英語を話したこともそれなりにあるし、多少は英語を話すことはできるけれども、しかし「英語が得意」などとはとても言えないし、自信もないし、どちらかというと「英語は苦手です」と相手に伝えるために多くの人が言うセリフです。

「日常会話くらいの英語なら」と答える人が実際どれくらい英語ができるのかということは、もちろんそう答える人ひとりひとりによってまちまちだと思いますが、その答えを聞いた相手は、この人の英語力はだいたいこれくらいかなと想像できます。そういう意味では、この答えは答えとしてしっかり機能してはいます。とは言っても、しげとしては、「日常会話レベル」の英語が話せると文字通りとってしまえば、その人は相当な英語使いではないかと思ってしまうわけなのです。

しげはアメリカの大学の博士課程に所属して、アメリカに住み、カナダにも住み、大学の授業を受け、授業をすることもあり、学生たちから質問を受け、教授たちから口頭試問を受け、論文を英語で執筆し、いろいろなお店でお買い物もしながら日常生活を送っています。そんななかで、「日常会話レベルの英語ができない」と言えば嘘になってしまうかもしれないですが、それでも、「日常会話レベルの英語なら自信がある」と言える状況では明らかにありません。大学で授業をすることと日常会話とどちらが難しいかと言えば、日常会話のほうがはるかに難しいです。英語で本を書くことと日常会話とどちらが難しいかと言えば、それも明らかに日常会話のほうが難しいです。これらはどちらも、ほとんどのネイティブ・スピーカーたちにとっては、どちらのほうが難しいかは逆転するかもしれません。しかし、ほとんどの非ネイティブ・スピーカーたちにとっては、これは明らかにどちらも後者のほうが難しいです。これはどのように英語を勉強してきたかにもよるので一概には言えないですが、日本語が母語で日本の学校教育で英語を勉強してきた人たちにとっては、なおさら後者のほうが難しいはずです。

「日常会話レベルの英語なら」と言う人たちは、英語圏に住んで、友達や先生と自然な雑談をしたり、アパートの大家さんに苦情を言ったり、スーパーマーケットのカウンターで魚の切り身を注文したり、Subwayでサンドウィッチを注文したり、クレジットカード会社に電話して身に覚えのない請求を取り消してもらったり、悪徳な航空会社からお金を取り戻したりすることができるのでしょうか。これらはどれも、非ネイティブにとってはとても難しいことですが、間違いなく「日常会話」の範疇です。日常会話は何でもありです。これがテストなら、出題範囲は「すべて」です。知らない単語や聞き取れない発音はいくらあってもいいですが、わからないことがあった場合は、適切に相手に聞き直さなければなりません。もちろん文学的な英語や古い英語やビジネス英語や専門用語や世界中の方言など、難しい英語はまだまだ無限にあるにしても、英語で日常会話ができると自信を持って言える時が来るならば、それは英語をマスターしたとほとんど言っていい時なのではないでしょうか。

日常で出会う英語のほとんどは、日本人が学校で聞いてきた英語などとは比べものにならないほど速いですし、たとえばTEDなどのプレゼンテーションで聞く英語とも比べものにならないほど速く、崩れています。TEDのようなフォーマルなプレゼンテーションや授業などで話される英語は、文法的にも速さ的にも、相当聞きやすくなった英語です。また、例えばアメリカ英語と言ってもいろんな発音や話し方がありますし、非ネイティブの人にもかなりの割合で出会います。非ネイティブでゆっくりと話してくれる人が実は一番聞き取りやすいかもしれないですが、非ネイティブで発音もめちゃくちゃなのに、なぜかネイティブ並みに流暢に話す人たちもいます。これからレジで話す人が、あるいはこれから電話で話すカスタマー・サービスの人が、そのような多様な英語のうちのどんな英語を話すのか、事前にはわかりません。だから日常会話の英語は難しいのです。

対して、英語で授業を行うことは比較的簡単です。自分がよく知っていることについて話すのだし、事前に何を話すか準備ができるからです。学生からの質問に答えることは、ただ講義を行うことと比べてもう少し難易度が高いですが、それでも、質問の内容が予想できるので、日常会話よりは簡単です。自分の授業を聞いた学生の質問と、初めて行くお店のレジでの無愛想で早口な店員さんの質問と、どちらの質問がより予測不可能かと言えば、それは明らかに後者です。

英語で本や論文を書くことも比較的簡単です。もちろん、非ネイティブにとっては、ネイティブから見て完全に自然な英文を最初から最後まで書くことは難しいです。それにしても、実際に出版されるものにはほとんどの場合にネイティブの校正が入るので問題ありません。あまりにもひどい英語を書いていたら、その論文や原稿は採用されないかもしれないですし問題ですが、正しい文法やスペリングで英文を書くことは、時間さえかければ、ネイティブのような発音で英語を話すことよりはるかに簡単です。アメリカの大学で学生の書いたものを採点する立場になるとすぐにわかるのですが、ネイティブの学生の多くは、英作文があまり上手ではありません。日本人の多くは英文法がとても得意なので、語彙力では確実に劣っていても、意外と平均的なネイティブより良い文章を書ける人も多いかもしれません。出版物を校正してもらうときに、非ネイティブの書いた文章が、不注意なネイティブの書いた文章と比べて直す箇所が少ないということは珍しいことではないのではないかと思います。言語学的にどうなのかしげにはよくわからないですが、語形変化が少なく語順への依存度が高い英語は、非ネイティブには比較的優しい言語なのではないでしょうか。いまでは非ネイティブで英語を書いている人のほうがネイティブで英語を書いている人よりも断然多いのだから、自分の英語が少しばかり不自然だなどということは、それほど気にしすぎることではありません。そもそも良い文章かどうかという基準は、言語に依存しない要素のほうがより根本的だと思います。良い英文が書けない人というのは、おそらく良い日本語文も書けない人です。

しげは、日常会話がどれほど難しいかということを日々痛感しているので、英語力を問われた際に、「日常会話くらいなら」とは口が裂けても言えません。実際に日常会話レベルの英語を話せる人は「日常会話くらいなら」とは答えずに「英語は話せるよ」と自信を持って答えるでしょうし、もし「日常会話くらいなら」と答える人を見かけたら、その人は英語圏で日常生活を送ったことが一度もないのだなとしげは推測してしまいます。

日常会話レベルの英語がこれほど難しいというのは多くの人にとって悲報ですが、逆に言うと、これだけ英語ができなくても英語で研究生活を送ることは可能だということです。

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