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アメリカの博士課程①PhDとは何か?

本記事から2回にわたって、PhDとは何か、そしてPhDという学位を取得するまでには実際にどのようなプロセスを経るのか、しげが所属するアメリカの大学で人文系分野の場合を中心に、しげの知っている範囲で他国や他分野との違いも交えながら、しげの経験談とともに紹介します。PhDという学位の詳しい歴史や厳密な制度などについてはWikipediaなどほかの解説を当たっていただければと思いますが、本記事では、実際PhD課程に入学するとどのような生活を送ることになるのか、そしてPhDを取得するということが社会的にどのような意味を持つのか、より具体的に実感を持って理解できるような解説を目指します。

二記事のタイトルは以下です。

①PhDとは何か?

②PhD学生の生活

これらの記事は、これからPhD(あるいは博士)課程へ入学することを検討されている方々はもちろんのこと、そのような方々がご家族やご友人、職場の同僚などにいらっしゃるという方々にも読んでいただけたらと思います。PhDや博士とは何なのか、何をしている人たちなのかピンとこないという方々を少しでも減らし、PhDを取りたい、PhDを取ろうとしている人を応援したい、PhDを持っている人を雇いたい、という方々を少しでも増やすことができれば本望です。

①PhDとは何か?

PhDとは、大学で授与される最高レベルの学位である博士号(doctoral degree)のうちのひとつです。博士号にはPhDのほかにもいろいろなものがあるのですが、実際には、Wikipediaによると、アメリカの大学で授与される博士号の98%はPhDだそうなので、doctoral degreeとPhDをほぼイコールと考えてもそれほど間違ってはないですし、世の中では、PhDという言葉をdoctoral degreeと同意義で使っている人は多いです。

PhDという略称は、philosophiae doctorというラテン語から来ていて、英語ではDoctor of Philosophyが正式名称です。Philosophyとは、現代の狭い意味での哲学のことではなく、広い意味での学問全般を指すようです。なので、法学や医学などの実践を伴う伝統的で特別な分野にはPhDとは別の名前の博士号もありますが、学問的探求、つまり研究を行う分野の全てで、いわゆる理工系も人文系も関係なく、PhDという学位を取得することができます。それが、アメリカの大学で授与されている博士号の98%がPhDである理由です。

日本の大学で博士号を取得するプロセスは、欧米の大学でのそれと大きく異なっていると思いますが、日本で取得した博士号は欧米で言うPhDに相当するものなので、英語などで話す場合には、日本で取得した博士号をPhDと呼ぶことも一般的なようです。現代では、日本の大学も学位の正式な英語名称を定めている場合がほとんどだと思うので、正確に伝えたい場合は、それをそのまま使うのが良いかと思います。ヨーロッパの伝統的な大学と異なっているという点では、程度の差こそあれ、おそらくアメリカの大学も日本の大学と同じことです。

これまでPhDの定義的な説明をしてきましたが、PhDとはどのようなものかをひとことでわかりやすく言い換えると、所定のプロセスを修了し、大学で学問の研究や教育を行うだけの能力があると認められた人に贈られる称号のようなものです。PhDや博士号を取ると、英語では、名前の前にMr.やMs.の代わりにDr.をつけて呼ばれることになります。書き言葉では、名前の後ろにカンマとPhDという称号をつけて書かれることもあります。建築デザインなどの実践的な分野では、PhDを持っていない人が教授として授業を担当することは普通ですが、純粋な学問的研究を行う大学教授たちは、基本的に全員PhDを所持しています。

かといって、もちろん、PhDを取ったからといって必ずしも大学教授しか道がないわけではありません。特に日本国外ではそうです。PhDを取得したということは、ある分野のエキスパートであることの証明で、特にその人が博士論文を執筆したその範囲では世界一詳しい人であるはずだからです。博士論文はあくまで学生としての大学への提出物なので、それをもとに論文や書籍を発表しなければ正式な業績にはならないのですが、とはいえ、博士論文そのものがきちんとした「学術研究」と言える水準でなければ博士号は取得できないはずです。「学術研究」であるならば、そのなかに必ず、何かしらの新しい発見や解釈や提案が含まれています。その研究で養った知識や実行力やスキルなどは、大学以外でも社会の様々な場所で役立てることができるはずです。

しげは大学の外のことは直接的にはあまり知らないので聞いた話ですが、日本以外の多くの国では、このような博士の価値が一般に認識されていて、企業でも修士号までの取得者とは異なる高待遇で雇用されることが普通なようです。日本では、博士号を取得した人たちは社会不適合者で役に立たないという認識が一般的で、企業に雇われることがあっても、修士号の取得者と同じ待遇なことが多いそうです。そのため、日本では、知的好奇心の追究を諦めて経済的に現実的ではない博士課程への進学を断念する人が多いのですが、逆に海外では、将来の収入を高めたいという経済的な理由で、大して興味もない分野の博士課程に進学する人もいるようです。しげは、少しでも研究が苦手だと自認していたり研究に苦痛を感じるような人は博士課程には向いていないと思うので、後者はもちろん良いことではありません。それでも、「なぜ、それでもアメリカなのか」という過去の記事でも書いた通り、このようなPhDや博士というものへの社会の認識の差は、しげが日本ではなくアメリカの大学の博士課程に進学することを決めた大きな理由のひとつです。

The Professor Is Inという、アメリカで大学教授になりたい人が読む2015年刊行の有名な本があるのですが、それによると、いまアメリカの大学で教授になることはオリンピック選手になることに喩えられるくらい競争の激しいことだそうです。PhDを取ったからといって、大学教授になれるのはそのうちのほんの一握りです。でも、この本には、大学教授以外の道に進む場合のアドバイスも載っています。PhDを取った人ならばどのような世界でも活躍することができるはずだと、この著者は信じています。このような考え方は、アメリカではこの著者に限らず普通なことです。

妻がカナダの友達や知り合いに夫がPhD学生だと伝えると、よくある反応のひとつは、“Wow, he’ll make a lot of money!”です。アメリカやカナダでは、PhDイコールお金を稼ぐ人ということになっているのです。

そもそも日本の博士課程とアメリカの博士課程では学位取得までのプロセスが大きく異なってはいますが、日本でも、アメリカと同じくらいに博士の地位を上げることができれば、誰にも見つけてもらえない宝石のような人材を少しでも減らすことができるのではないでしょうか。

実際にアメリカの大学院への出願を検討している方は、こちらの記事もぜひご覧ください。

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