しげがゲスト・エディターを務めた雑誌『a+u』8月号「バックミンスター・フラーの7つの原理」が発売になりました!

アメリカに住んでいて大変なこと③移動

本記事は、「アメリカに住んでいて大変なこと①お金」「②食べ物」の続編です。まだ①②をご覧になっていない方は、そちらもどうぞご覧ください。

③移動

移動のしかたは徒歩、自転車、自動車、タクシー、バス、電車、飛行機などたくさんありますが、どの移動手段をとっても、アメリカでの移動が大変な理由は、だいたい次の三つのうちのすべてもしくはどれかになります。その三つとは、「危険」「時間がかかる」「値段が高い」です。

「時間がかかる」の理由のひとつは、当然アメリカが大きいからです。飛行機でアメリカ本土の端から端まで行けば、日本がいくつか入ってしまうほどの距離を移動することになる場合もありますし、ひとつの都市のなかでも、移動の距離が大きくなることが多いです。それはなぜか考えてみたのですが、おそらくアメリカの都市の多くが「歴史の浅い」都市だから、つまり自動車の普及の後に大きく発展した都市だからではないでしょうか。それはつまりそれらの都市の多くが「徒歩に適さない」ことも意味しているし、「歩いてもつまらない」ということでもあります。しげは、ボストンやフィラデルフィアなど、アメリカのなかでも歴史の長い都市の多くにまだ行ったことがないので、行ってみるのが楽しみです。

しげはウィスコンシン州のマディソンにいたときからずっと常にカメラを持ち歩いて過ごしていました。マディソンはとても徒歩に適していて、歩いていて毎日いろいろなものの写真を撮りたくなりました。四季の移り変わりもあるし、動物もいるし、雪が降ったり湖が凍ったりもします。しかしテキサス州のオースティンにやってきて、写真を撮りたいと思うものが明らかに少なくなり、カメラも持ち歩かなくなりました。マディソンと比べてオースティンは徒歩にもあまり適しませんし、歩いていてもマディソンほどは楽しくありません。初めての場所なら一度は歩いてもいいのですが、毎日同じところを歩いても、四季の移り変わりもほとんどないので苦痛でしょう。歩くのは時間がかかるだのつまらないだの言うものの、しげはそれでも歩くのは好きなので、アリゾナ州のスコッツデールにあるタリアセン・ウェストからフェニックスの宿泊地まで、十時間以上歩いて帰ったこともあります。途中に寄ったメキシコ料理屋さんがいい思い出です。

アメリカと比較すると、日本の歩きやすさや歩くことの楽しさはむしろ異常です。それは、日本の都市の多くがアメリカの都市とは比べ物にならないほどに歴史が深いことが関係していると思います。自動車が普及するずっと前からそこに都市があったので、徒歩で行ける圏内に重要な都市の機能がおさまっているし、歩いていてそこかしこに歴史の痕跡を見つけることができます。電車や自動車の普及の後から都市の周辺に広がっていった地域でも、日本では電車で簡単に行ける場所が多いです。アメリカでは電車がほとんどの都市で普及していないし、生まれてから一度も電車に乗ったことがない、という人のほうが乗ったことのある人よりも多いです。

つまらないだけならまだいいのですが、アメリカの多くの都市では、歩くことがとても危険です。マディソンでは大学のキャンパスが都市の大部分を占めているし、歩くことが普通なので、道路は完全に歩行者優先で、歩行者が道を渡ろうとすればほとんどの車がすぐに止まりました。しかしこれはおそらくアメリカでは圧倒的少数で、アメリカの多くの都市では、歩行者は迫害されています。そもそも自動車を運転している人たちの多くは歩行者がいることを想定していないし、道路を歩いている人がいた場合、「なんでこの人歩いてるの?邪魔なんだけど」というくらいにしか思いません。特に夜は危険です。しげも少し前に、横断歩道を渡ろうとしたら、車がわざとアクセルを踏みしげの目の前まで車を動かして脅してきました。しげが少し下がると、そのまましげの前を通って走り去っていきました。アメリカでは、道路を渡る場合、一台一台の車の運転手の顔を見てジェスチャーなどでコミュニケーションをとりながら、渡っても安全であるということを確認した上で道を渡る必要があります。

アメリカには“right of way”という考え方があり、要するに道を先に通る権利のことなのですが、歩くにしても車を運転するにしても、この概念をよく理解することが必要です。州によってルールに違いはありますが、アメリカで歩く場合に日本人が知っておくべきことは、アメリカでは歩行者がいつもright of wayを持っているわけではないということです。日本では歩行者が車に轢かれた場合、基本的に車のほうに非があるとみなされますが、アメリカでは、歩行者が横断歩道を少しはみ出して歩いていただけでも、車に轢かれた場合歩行者の責任になってしまいます。地元テキサスのルールを調べたのですが、自動車は自分が走行しているレーンを誰かが歩行している、もしくはそのレーンにたったいま歩行者が侵入しようとしている場合、一旦停止しなければいけないということでした。つまり、歩行者が道を渡っていても、その人が自分の走行しているレーンにいないならば止まる必要はないということです。アメリカでは、自動車は原則的に赤信号でも右折することができますが、多くの自動車は例外的に右折が禁止されている交差点でも右折しますし、歩行者がいても右折していいものと思っています。このことにも歩行者は注意しながら交差点を渡るべきです。

アメリカのドラマなどで見たことのある方も多いのではないかと思いますが、アメリカでは、多くのティーンズが親から直接運転を教わります。学科テストに合格した段階で、助手席に免許を持った保護者を連れて、いきなり公道で練習します。日本のようにプロの教官に運転を教わる人というのはほとんどいません。アメリカでは車は必需品ですから、平均的なアメリカ人は平均的な日本人よりもずっと運転に慣れています。そういう意味ではアメリカ人のほうが運転技能が高いはずなのですが、しっかりと体系的に運転を習った経験がないということと、交通ルールをそもそも知らない、あるいは知っているけれど守るつもりがない、という理由から、日本人よりも運転が下手な場合が多いです。また、道路が広いので日本よりも大まかな運転で構わないし、駐車場での駐車は基本的にすべて頭から入るので、バックでの駐車は日常生活ではまったくしない人が多いです。ただし、縦列駐車は必要な場合が多いので上手です。また、急発進や急ブレーキ、急ハンドルなどを避けて同乗者が不快に感じないようにする、という発想自体がほとんどの運転者にとってそもそも存在しないのですが、悪気もまったくないのです。UberやLyftなどのタクシーを使う場合は、毎回命をかけるつもりでいるべきでしょう。

また、アメリカ人の飲酒運転に対する考え方は、日本人のそれとはまったく違います。もちろん飲酒運転をする人が日本にもたくさんいるから問題なのですが、少しでもお酒を飲んだら車を運転してはいけないというのが日本での常識です。実際、血中アルコール濃度が基準値以下であれば基本的には違法ではないはずですが、それでも、車を運転する人は一滴も飲んではいけないと日本では一般的に考えられていて、もし「ちょっとだけ」と思ってお酒を飲んでから運転する人がいても、その人は少し罪悪感を覚えるか、後ろめたいから人には言わないようにする場合が多いでしょう。しかしアメリカでは、少しお酒を飲んでから車を運転するというのは少しも後ろめたいことではないし、人前で堂々としてよいことなのです。もちろん、車を運転する場合は一滴も飲まない、と自分でルールにしているような律儀な人たちもいますが、彼らは圧倒的に少数派です。日本とアメリカでこのような違いが生じる理由は大きくふたつあって、ひとつは、アメリカでは車の運転が日本以上に必要不可欠だからです。これは、飲酒運転の危険性を考えれば、あまり納得のいく言い訳にはなっていないですね。もうひとつの理由は、アメリカ人の多くが、お酒を少し飲んだくらいでは体になんの変化もないからです。これは、一部の人種にとっては、おそらく生物学的な事実なのだと思います。アメリカ人は平均して日本人よりも体が大きいですし、遺伝的な違いから、体に備わっているアルコール分解能力が日本人よりも高いのです。多くのアメリカ人にとっては、ワインをグラス一杯飲んだからといって、体に何か少しでも変化があるなどとは想像だにしないのです。そういうことなら、そういう人が少し飲んだ後に車を運転することはしょうがないのかもしれません。実際、血中アルコール濃度も基準値以下なのでしょう。しかし、しげが危険だと思うのは、少しくらい飲んでも運転して大丈夫という空気感がアメリカ全体で共有されているだろうことです。日本人などの相対的にアルコールに弱い人種にルーツを持つアメリカ人はたくさんいますし、アルコールに強い人種の人たちも弱い人種の人たちもひとつの社会のなかに集まっています。ですから、体はアルコールに弱いのに意識はアルコールに強い人種の人たちと同じで、アルコールに強い友達がしているように、自分もお酒を飲んでから車を運転して大丈夫と考えてしまったら危険です。しげは、実際どれくらいの人がこういう考え方を持っているか正確に予想できるほどアメリカ経験が豊富ではないですが、しかし、飲酒運転は人種を超えてアメリカじゅうで起こっているだろうとは想像します。(ただし、お酒に関する規制、例えば未成年者による飲酒の取り締まりなど、はアメリカのほうが日本よりもはるかに厳しいですし、日本のような飲み会の文化もないので、お酒好きでお酒の飲み方をわかっている人たちが飲みたいだけ飲んでいる場合がほとんどで、日本のように飲みたくもないのに飲んだり、吐くまで飲んだり、飲んで記憶を飛ばしたり、飲酒が法律で禁止されている年齢の大学生が飲んだりすることは日本よりも少ないと想像します。その代わりに、危険なドラッグは日本よりも普及しているかもしれないですが。)

このような車たちに満ち溢れた道路ですから、歩行者だけでなく、運転者にとっても道路はとっても危険です。初めのうちは、特にハイウェイなどを運転して無事に目的地に着けたら、それは幸運の結果でしかないと思っていました。周りはみんなルールを知らないか知っていても守らないのだから、事故に遭わないほうが奇跡だと思っていたのです。ルールを守らない、でいうと、一番多いのはウィンカーを出さないことです。ハイウェイで車線変更をするときは、ウィンカーを出す車のほうが少数派です。また、これはあまり事故にはつながりにくいとは思いますが、例えば左折専用レーンにいる車はほとんどの場合左折のウィンカーを出しません。ただでさえ規定のスピードが日本よりも速いですが、スピード違反の車が多いことは言うまでもありません。

いまではアメリカでもカナダでもかなり運転に慣れたので、少なくとも家族や友達を後ろめたさなく自分の運転する車に乗せられる程度には、事故を起こさない自信があります。しかしそれでもアメリカの道路が日本以上に危険なことには変わりがないと思います。大事なのは、ルールを守らない車や予測不能な動きをする車がいる可能性を常に意識しておくことと、自分はできるだけルールを守ることです。(「できるだけ」と書いたのは、ときにはルールを頑なに守ることが逆に危険につながる場合もあるし、常に臨機応変に対応することが安全のために大切だからです。)

いままで「危険」と「時間がかかる」を中心に話してきたので、最後に「値段が高い」についてですが、これも、アメリカが大きいので移動距離も大きくなりがちなことから、当たり前といえば当たり前ですし、だいたいなんでも値段が高いことは、すでに「①お金」でも述べました。アメリカは広いので、例えば荷物をFedExやUPSなどの運送会社を利用して送る場合もとても高いです。車を持っていれば、徒歩やバスに比べて移動にそれほど時間がかからないことも多いですが、そもそも車はとても高価な買い物ですし、ガソリン車であればガソリン代も高く、少なくともテキサス州では自動車保険に加入することも義務付けられており、それもかなりの出費です。アメリカでは車は家よりも基本的なものだと思っている人も多いので、車を所有しているホームレスの人も多いです。千鳥の大悟さんのお父さんは発泡スチロールの箱に詰めた海の幸との物々交換で車を手に入れたそうですが、たとえ中古でもかなり高価な自動車を多くのアメリカ人がどうやって手に入れているのか不思議です。おそらく、家族や知人の伝手で無料や格安でゆずってもらっているのでしょう。しげは、現時点では自分の車を持っていません。

車を持っていなくても、バスがあるので、限られた範囲内では安く移動ができます。大学の学生は地元のバスに無料で乗れることも多いです。それで大丈夫、と思うかもしれないですが、安いものにはそれなりの代償があるのです。大学に行く学生はバスを使う人も多いので、朝から夕方までの時間に大学に向かう場合や大学から出発する場合は、若い学生が乗っていることも多く、バスのなかの雰囲気はそれほど悪くありません。しかし、それ以外の場合は、バスが社会的弱者のためにあるものであること、そして自分もその一員であること、を強く意識させられます。その社会的弱者たちは、明らかに地域全体の割合と比べて黒人の割合が大きく、多くの人はホームレスや体の不自由な人たちです。服がぼろぼろに破れていたり、強烈な臭いを発していたり、ひとりでずっと奇声を発していたり、電話をしているわけではないのにずっと誰かと話しているような様子の人たちです。バスに乗っているとき、時間を聞かれることが多いです。なぜ時間を聞かれるかといえば、しげがスマホを見ているからです。彼らはスマホを持っていません。自分はまだ恵まれているほうだということがわかります。いまのところ、オースティンのバスでは危険を感じたことはあまりありませんが、ヒューストンのバスに乗ったときは、危険を感じました。ヒューストンはバスのなかだけでなく、街のあちこちが危険な雰囲気に包まれています。

一度、いまの妻と一緒にオースティンでバスに乗っていたとき、女性ふたりが大きな声で罵り合いを始めたことがありました。しげと妻の間では、この事件は「フラッシュモブ」と呼ばれています。彼らはお互い少し離れた席に座っていたのですが、片方が大きな声で電話をしていて、もう片方がその電話の内容にいちゃもんをつけ始めました。電話をしていた彼女は当然、「お前と話してねーよ」と言い返しました。彼らはお互いを思う存分罵り合った後、「早く降りろ」「あんたが降りろ」「お前が降りろ」「やんのか」「殴られたいのか」「黙れ」のようなやり取りをして降りていきました。ふたりは同じバス停で降りたので、その後も喧嘩は続いたことでしょう。こういうことはおそらく日常茶飯事なので、フラッシュモブの上演中、運転手は何事もなかったかのようにそのまま運転していました。

ほかにも、しげともうひとりくらいしか乗客がいなかったときですが、そのもうひとりのおばさんがバスの一番後ろの席に座って大声で電話をしており、その言葉遣いはあまりにもひどいもので、swearwordsを連発していました。すると、誰も降車ボタンを押していないのに次のバス停でバスが止まり、運転手が「ここがお前の終点だ」というようなことを言って、そのおばさんを無理やりバスから降ろしました。かっこいいですね。

結局、「値段が高い」について話そうとすると、「危険」「時間がかかる」に戻ることにもなってしまいます。なぜなら、移動における「安全」と「早さ」を買うものがお金でもあるからです。しげが普段大学に行くためなどに利用しているバスは、遅れるだけならまだいいのですが、毎日のように「消滅」します。バス停にはこれから来るバスが何時に来るか数台分が電子掲示板に表示されており、スマホのアプリでもそれを確認することができるのですが、そこに表示されているバスが消えてなくなることはめずらしくありません。バスで通学している人たちは、大学の授業に毎回遅刻せずに行くことはほぼ不可能ではないでしょうか。

車やお金を持っていない人たちは、都市間を長距離で移動する場合もバスを利用するしかないのですが、アメリカの長距離バスとして最も有名なGreyhoundは絶対におすすめしません。しげと妻は、オースティンからダラスへ向かうのに一度だけGreyhoundを利用したことがあるのですが、六時間遅れの到着でした(そもそもオースティンとダラスは車で三時間半程度の距離です)。そのバスは、メキシコのモンテレイから出発して北に向かい、途中オースティンを含む様々な都市を経由して最後にテキサス州の北部にあるダラスまでたどり着く行程で、おそらくひとりの運転手がずっと運転していたのだと思います。とてつもなく長距離な行程なので、遅れないほうが不思議です。バスのなかの雰囲気も、オースティン市内のバスよりはずっと悪いです。

六時間遅れで運行し、すっかり真っ暗になった夜遅く、もうすぐでダラスに着きそうだというとき、しげと妻を乗せたGreyhoundのバスは、車がびゅんびゅんと走るハイウェイの道端で止まりました。運転手はバスを降りていったようです。妻はしげに、「運転手さんどこに行っちゃったの?何をしてるの?」と聞きました。しげは、「わかんないの?」と言いました。妻は、「え、わかんないよ。何してるの?しげはわかるの?」と言いました。しげは、「わかるよ」と答えました。運転手さんはそこら辺で用を足していたのでしょう。Greyhoundはとても歴史のあるバス会社ですが、長距離バスに乗るならMegabusのほうがおすすめです。安いものは遅れる、という話でしたが、MegabusはGreyhoundと比べて特別高いわけではありません。

また、お金を出したからといって遅れないわけではありません。しげがオースティンからカナダのオタワへ飛行機で向かった時、その最初の便が大幅に遅れたのですが、その理由が、「パイロットがパーティーに行っていたため」です。金曜日の夜はアメフトの試合などがあると特にパーティーが多いのですが、土曜日の朝のフライトだったため、前日の夜からパーティーに参加していたそのパイロットは、時間通り出勤することができなかったのです。乗客が飛行機に乗り込んでしまってから遅延の理由が機内のアナウンスで流れたのですが、この「パイロットがパーティーに行っている」という理由は、言えばみんな許してくれるだろう理由としてアナウンスされていた感があります。なのでもしかすると、この理由はでっちあげで、みんなが納得する理由としてこの理由を言った可能性もあります。この理由を聞いた乗客たちは、みんなただ笑っていました。この遅延だけは、プライベートジェット機で移動するほどのお金を持っていない限り、どんなにお金を持っていたとしても避けられないでしょう。

以上、アメリカでの移動がいかに大変か、少しでもわかっていただけたなら嬉しいです。

本記事の続編「④差別・偏見」はこちら。

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